雪人―後編―
兵太夫はあれから自力で山を降りた。そしていつもと変わらない生活を送っていた。
いつものように朝起きて散歩して本を読んで・・・しかしその日はどこか違う空気が流れていた。
兵太夫がふと目線を木々の方へ移すと大きな石の上に座ってこちらを見ている人がいた。
いつもの兵太夫なら完全に無視するのだがその日はなぜか声をかけた。
「何をしている。」
その人は兵太夫に向かってニコニコと笑っていた。
返事が返ってこないので兵太夫は読んでいた本を閉じ静かにその人に近寄った。
近寄るにつれて光にぼやけていたその人がはっきりと見えてきた。白い肌に緋色の髪そして緑色の瞳。
「二週間ほどあなたの傍にいさせてもらないでしょうか。」
その人は兵太夫がその人に見惚れているとそんな言葉を口にした。
「・・・別にいいが。」
その言葉にその人は満開の笑顔になりピョコンっと石から飛び降りた。
「私は乱と申します。」
「俺は兵太夫だ。」
二人は挨拶を交わし その日から兵太夫と乱の暮らしが始まった。
兵太夫の家にはまったくと言っていい程訪れる人が少ない。
乱が“なぜ？”と聞くと兵太夫は“お前が知る必要はない”と言い切る。
乱は兵太夫が起きる前に起き食事の準備をする。そして食後兵太夫と一緒に散歩するのを楽しみにしていた。
兵太夫は乱に何も聞かない。だから乱も何も言わない。只 静かな時間だけが二人を包んでいた。
だがそんな幸せも束の間である。乱にとっての幸せな時間は刻々と過ぎていった。
あともう少しで期限切れというある夜 兵太夫は乱の横に座り肩を抱いた。
「お前は温かいな。」
乱はその言葉にキュウっと胸を締め付けられた。そして擦り寄る様に兵太夫の肩に自分の頭を乗せ泣きそうになるのを我慢した。
「あの時もお前は温かかった。」
えっ・・・乱は思いっきり顔を上げ兵太夫を見た。無表情の兵太夫の感情を読み取るのは難しい・・・が今はちょっと照れているみたいだ。
「お前俺を助けてくれただろ。目覚ましてお前がいなかったから夢でも見たのかと思ってた。」
突然現れるから・・・と兵太夫は珍しくニッコリと笑った。
「最初から・・・。」
「あぁ気がついてた。」
「なのに傍に置いてくれたの？」
「ずっと気になってたからな。助けてくれる前もお前時々俺のこと見てただろ？」
そう乱はずっと兵太夫を見てた。けどそれは人間の視力ではいることさえ分からない程の距離の場所でだ。
「じゃ私の正体も・・・知ってるの？」
「あぁ。」
その瞬間 乱を紛雪が取り囲んだ。その中から現れた乱は緋色の髪ではなく白い髪だった。
乱太郎はボロボロと大粒の涙を降らせながら言葉を走らせた。
「ごめんなさい。黙ってて私雪人なの。あなたのことが好きで傍にいたくて・・・ごめんなさい。」
涙を拭うこともしない乱太郎を兵太夫はソッと抱き締めた。
「何も謝ることなんかないだろ。」
「でも・・・」
「いいんだ。お互い様なんだよ。」
兵太夫は目尻に溜まっている流れる前の涙を吸い取った。乱太郎は大きな瞳を更に大きくさせて兵太夫を見た。
「お互い様？」
「俺の母さんもお前と同じくらい温かかった・・・はずだ。俺が物心つく前に溶けたんだ。」
そう話す兵太夫はすごく寂しげで乱太郎は強く兵太夫を抱き締めた。
「父さんはずっと後悔し続けてた。」
乱太郎が抱き締める腕を強めると兵太夫も強く抱き締め返した。
「俺は人間と雪人の混血なんだ。」
暫く沈黙の時間が流れた。
「好きだよ。」
兵太夫が乱太郎の耳元でソッと囁いた。
「里の連中が雪人は体温がないなんてほざいてたがお前も母さんも温かかった。」
お互い抱き締めあったまま二人は見つめ合う。
「お前を見つけた時俺は嬉しかった。この手に抱き締めたいってずっと想ってた。」
兵太夫は止める事無く話を続けた。
「でもお前俺が少しでも視線を向けるとすぐいなくなってただろ。」
乱太郎は見られるはずないと思いつつ兵太夫が自分の方を向くといつも姿を隠していた。
「だからいつも俺はお前の方を見ないように気配だけを感じてた。だからあの時間近で会えて嬉しかった。」
乱太郎はまたもや大粒の涙を降らせていた。
「なんで泣く。」
「嬉しくて。」その時の乱太郎の笑顔は本当に綺麗で可愛くて―――――チュッ
兵太夫は堪らず口づけた。触れるだけの優しい口づけ。
乱太郎は雪にならなかった。
その代わり髪の色が白から薄っすらと紅い色に変化した。
「一生俺の傍にいてくれ。」
「はい。」
そうして二人は深い口づけを交わした。
「兵太夫。」
「ん？」
「私の本当の名前は乱太郎だから。」
「乱太郎。」
「なぁに。」
「乱太郎。」
「なぁに。」
「乱太郎愛してる。」
「・・・私も愛してる兵太夫。」
二人での生活は始まったばかりである。
余談かもしれませんが実は兵太夫の母は乱太郎の父母と友達でした。
だから兵太夫が御挨拶に行った時の乱太郎の父母は大変嬉しそうだったとか。
母の話を聞けて兵太夫もかなり嬉しそうだったとか。
兵太夫が嬉しそうだったので乱太郎も嬉しそうだったとか。
終了
平成15年3月13日